楽天・平石監督代行って誰? 松坂の横浜と死闘したPLのキャプテン

楽天・平石洋介監督代行に

中日の松坂大輔投手から激励があった!

この二人、

1998年の夏の甲子園準々決勝

横浜 VS PL学園 延長17回の死闘を戦った仲間であった。

平石洋介監督代行は、PL学園の背番号13ではあるが、

主将としてあの死闘の中にいた。

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平石洋介監督代行は、

大分県で生まれたが、中学の時に大阪府へ引っ越してきた。

そして、有名な「八尾フレンド」のボーイズリーグに入った。

この時PLのエース上重聡(日本テレビアナウンサー)と知り合う。

ボーイズでは関西選抜の主将となり世界一を経験した。

高校は、上重と同じPL学園に進んだが、

1年夏に肩を壊し、キャッチボールも出来ない程であり、

2年に左肩を手術し、

3年には、主将として甲子園に春・夏の甲子園に連続出場した。

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大学は、同志社大学に進み、

1年秋には肩を完治するためにリハビリ入院をしていた。

4年時には、世界大学野球日本代表に選ばれ、3位入賞をする。

関西学生リーグでの成績は、

85試合出場

289打数92安打 打率.318 0本塁打 24打点の成績で

ベストナインを4度受賞している。

大学卒業後は、トヨタ自動車に入社。

野球部に所属し、1番センターで活躍。

社会人通算打率は、3割3分以上で10本塁打。

2年後の秋に、東北楽天ゴールデンイーグルスから

7巡目指名を受けて入団した。

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