プロ野球の横浜大洋、近鉄で活躍した
奇跡のリリーバー・盛田幸妃が亡くなった。
45歳という若さで。。。
ご冥福をお祈りします。
死因は現時点で不明であるが、
1998年から脳腫瘍とずっと戦ってき、
複数回の摘出手術も受けている。
近年では、骨への転移もあったようでなので、
おそらく、腫瘍が主原因ではないかと推測する。
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脳腫瘍との戦い
近鉄時代の1998年5月末頃から違和感があった。
右足首の違和感や麻痺などがあり、次第に悪化、
8月の検査の結果、
ゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が見つかり、
9月に摘出手術を受ける。
医師からは、
「スポーツ脳に腫瘍があり、普通の生活に戻れても、
野球選手としては諦めなければならないかもしれない」
と通告された。
しかし、懸命のリハビリで克服し、
プロ野球界にも復帰していた。
2002年に引退し、
横浜球団職員、TBSラジオの野球解説者として活躍。
2005年の夏に脳腫瘍が再発。
2006年2月に除去手術を受けて成功するが、
その後も再発を繰り返す。
また腕や腰などの骨への転移があり、
そのため、病的な骨折をするため、
複数回、手術を受けておられました。
また、2014年の春には
大腿骨を骨折するような状況でもあった。
大腿骨を骨折した後は、
盛田さんのブログが止まっております。
相当状態が悪かったのでしょうか?
2013年11月14日
骨軟部腫瘍外科の手術後の盛田さんの写真
盛田幸妃の野球選手人生
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盛田幸妃の野球選手人生を追っていく。
函館有斗高校出身で、
3度の甲子園出場を経験。
1987年のドラフトでは、
横浜大洋から1位指名を受け、
契約金4800万円、年俸420万円で入団。
中継ぎ投手として活躍しているにも関わらず、
最優秀防御率のタイトルも獲得している。
大魔神の佐々木主浩とともに
「ダブルストッパー」とも呼ばれる。
オールスターゲームの出場経験もある人気投手であった。
1997年に交換トレードで近鉄バファローズに移籍。
1998年に脳腫瘍が見つかり手術を受ける。
懸命のリハビリで、
翌年8月には二軍戦に登板し、
シーズン最終戦では一軍復帰も果した。
2001年に2勝を挙げ、近鉄のリーグ優勝に貢献。
オールスターゲームにも中継ぎ投手部門で
ファン投票1位で選ばれ、カムバック賞を受賞。
2002年9月25日に、
同年シーズン限りでの現役引退
最優秀防御率:1回(1992年)
表彰
月間MVP:1回(1992年8月)
カムバック賞(2001年)
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
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